トップ > 活動報告 > 行政視察 > 常任委員会の視察 > ■平成28年度上期「総務文教委員会」行政視察報告(委員:平井 登・小林和彦)

■平成28年度上期「総務文教委員会」行政視察報告(委員:平井 登・小林和彦)

■視察先:岩手県遠野市/埼玉県戸田市(2016.8.9〜10) 報告者:平井 登
遠野市総合防災センター展示
後方支援資料館仮設展示場
後方支援資料館仮設展示場
遠野市総合防災センター視察


視察先⑴:岩手県遠野市
視察テーマ ・東日本大震災における後方支援活動について 
      ・遠野市防災基本条例の制定について

 

1 取組の経緯・内容 
 遠野市は明治29年(1896)に発生した明治三陸地震津波において、いち早く沿岸部地域へ物資や労働力を提供し、津波被災地の復旧支援に携わった尊い歴史があります。同市は、岩手県南東部、北上高地の中心に位置することから往昔より内陸部と沿岸部を結ぶ流通拠点、文化交流の結節点としての役割を果たしてきています。
 そのような歴史背景を踏まえ、平成19年9月、「岩手県総合防災訓練」が遠野市で実施され、その訓練を通じ、後方支援の有効性と同市の優位性が実証されました。同年11月には、「三陸地域地震災害後方支援拠点施設整備推進協議会」を設立。津波が来ない内陸都市・遠野が担うべき役割、そして歴史的・文化的にも深いつながりのある9市町村(遠野・宮古・釜石・大船渡・陸前高田各市と山田・大槌・住田各町・川井村)との連携推進を図っています。さらに翌20年には、「陸上自衛隊東北方面隊震災対処訓練〜みちのくALERT2008〜」が、岩手県・宮城県両県において実施されました。この訓練により、遠野市の後方支援拠点としての位置づけや遠野運動公園の有用性が実証され、後方支援拠点構想は実現すべき確かな計画として国・県からも評価されていきました。

 平成23年3月11日午後2時46分、国内観測史上最大の地震が起きた。遠野市では、震度5強の揺れを観測し市内いたるところで被害が発生。市役所本庁舎中央館は全壊し、市内全域の停電や道路、水道などのインフラ施設も甚大な被害を受けました(被害総額約32億円)。
 地震発生からわずか14分後の午後3時、災害対策本部(庁舎前駐車場にテント設営)は、集結の拠点となる遠野運動公園を開放し、自衛隊、警察、消防などの救援部隊の受け入れ準備を開始。午後5時過ぎの岩手県警機動隊の運動公園到着を皮切りに陸上自衛隊や大阪府緊急消防援助隊など、全国から続々と集結する救援部隊を滞りなく受け入れています。
 大地震による発災後、沿岸の大槌町のすさまじい被災状況をデジカメ録画した男性が、2つの峠越えで災害対策本部にたどり着くと遠野市はすぐさま救援物資(毛布・非常食・水・灯油)を市職員2名で大槌町へ届けました。さらに釜石市、大船渡市、陸前高田市、山田町へと炊き出しのおにぎりを届ける一方、市内避難所や全国から集結した救援部隊にも炊き出しを行いました。
 このように、発災直後から市内各所で官民一体となった炊き出し活動が開始され、3月11日から29日間で、14万2,400個に上るおにぎりが市民ボランティアと市職員延べ2,050人により作られ届けられました。
 災害対策本部は、稲荷下屋内運動場を物資の集配場所=物資センターに指定し運用。全国から次々と寄せられる物資は、市民ボランティアなどの手によって品目ごとに仕分けられ被災地へと送り届けられました。また、被災された方が、物資センターから必要な時に必要なものを直接選んで搬出する無料スーパー的仕組みを構築。被災者利用ルールに従った支援物資供給により生活必需品などは効率よく且つ迅速に被災者の元に届けられました。

 震災から2年半を経過した平成25年9月、東日本大震災において遠野市が官民一体で取り組んだ沿岸被災地後方支援活動の記録と遠野市後方支援活動検証委員会により検証した活動成果や課題などを記録誌としてまとめ、多くの人たちの「記憶」「思い」「足跡」を確かな「記録」として後世につなぐことを目的に『3.11東日本大震災遠野市後方支援活動検証記録誌』が発行されました。さらに平成27年3月には、遠野市総合防災センター敷地内に『3.11東日本大震災遠野市後方支援資料館(仮設展示場)』を開所し一般公開。記録誌とともに後方支援活動の功績と意義を広く国民に伝え続ける取り組みも行っています。
 そもそも遠野市が構築した『沿岸被災地後方支援』は、本田敏秋市長の就任時の構想として打ち出されていたことが原点と言います。市長は、県の防災の責任者を経験されていたことから「遠野の地の利を生かして、後方支援基地にする」との強い信念を持たれていました。しかし後方支援とは、基本的に余所の自治体のために人材や資金を使うわけで、議会や市民からすると反感を招きかねない政策であります。それを説得され、拠点を整備しただけにとどまらず、陸上自衛隊と一緒に大規模な訓練をも行っています。果たせるかなこの2年後、東日本大震災が起こると訓練の成果が見事に発揮され、沿岸被災地の救世主的役割を果たされたのであります。
予言者ごとき本田市長の危機管理施策には全国から注目が集まり行政視察が相次いでいます。

 東日本大震災から3年後の平成26年4月1日、遠野市は岩手県内の市町村では初めて『防災基本条例』を制定、施行されました。条例は、災害から市民の命と暮らしを守るため、自助・共助・公助を基本理念に据え、市民・地域・行政それぞれの防災対策の責務と役割などを定めています。特徴的なことは、災害により他の自治体に甚大な被害が発生した場合、当該自治体への支援に努めること、被災地への救援活動を行う機関などへ拠点施設の提供などに努めることを明文化している点です。これは後方支援活動の教訓のもとに、その取り組みを条例に位置付けし、広域的な災害が発生した場合に支援体制を構築しようとするものです。
 この『遠野市防災基本条例』を市民に解りやすく説くために、イラストを多用した概要版が作られ市内全戸に配布。また、条例施行に伴う取り組みとして「防災マップ」を発行し全戸配布されています。マップには、土砂災害や洪水災害の危険区域、避難所の位置や家庭での日頃から心がけておくべき点などを網羅しています。
 
2 今後の課題
 遠野市は自ら構築された『沿岸被災地後方支援』の実績と全国的な高い評価をさらに活かすべく、災害時支援協定に積極的に取り組み、現在では29個協定(行政協定12・消防関係7・民間事業者等10)に及んでいます。このことは、例えば東日本大震災時の大津波により、庁舎がなくなり、町長はじめ幹部職員が犠牲になった現実、つまり役場や市役所が機能不全に陥り、住民からの救助支援要請に対してなす術がなかったような事態を目の当たりにした教訓があったからでます。言及すれば、国⇔県⇔市町村というタテ軸で成り立っている『災害救助法』の盲点を解消する必要があるからです。市町村という基礎自治体同士が、水平連携により、自らの判断と自らの責任をもって、逸早く初動体制を敷き、迅速に後方支援活動や被災場所の応急・復旧活動などを行えるよう『災害対策基本法』をはじめ『災害救助法』といった災害関連諸法の見直し・改正にどう反映させていくかが課題と考えます。

3 本市に反映できると思われる点
 30年以内の発生確率70%で予測されている南海トラフ巨大地震(M8−9クラス)では、駿河湾沿岸に位置する焼津市に大津波(最大津波高6m)による甚大な被害が想定され、本市においても震度6弱以上による災害発生が想定されています。藤枝市は、沿岸から約5km以上離れていることから、焼津市の後方支援拠点になり得る立地にあります。しかも両市間は地形的阻害のない平野で繋がっており、いくつもの道路網があるなど同市にもっとも隣接する自治体として、その役割を果たさなければならりません。
 防災対策先進県にある本市においては、『地域防災計画』(平成25年3月制定)に「相互応援・協力協定」が明記され、志太3市2町(藤枝・焼津・島田市と岡部・大井川町〈平成7年5月締結〉)、中部5市2町(静岡・藤枝・焼津・島田・牧之原市と吉田・川根本町〈平成24年4月締結〉)はもとより、友好都市・姉妹都市との災害時相互応援協定をはじめ医療法人、福祉法人、大学、民間団体・事業所など考え得る多様な協定が着々と結ばれ、万全を期しています。
 国が定める『南海トラフ地震防災対策推進計画』『南海トラフ地震における具体的な応急対策活動に関する計画』でも、広域連携・支援体制の確立が明記されており、それに従った施策や体制が着々と推進されています。幸いにも想定される巨大地震が起こっていない中、近年被災された関西・東北・九州地域の自治体から得られた多くの教訓を学び、いざ!の時に迅速・的確に防災計画が効力を発揮できるよう訓練を重ね、自助・共助・公助のしくみを体得しXデーに備えたいと考えます。


視察先⑵:埼玉県戸田市
視察テーマ:『戸田市シティセールス戦略』の取り組みについて


1 取組の経緯・内容
 戸田市は埼玉県南東部に位置し、荒川を境として東京都心から20kmの距離で隣接しています。JR埼京線の3駅が市内にあるほか東京外環自動車道、首都高速5号線、国道17号など都心への通勤、物流に極めて優位な立地にあります。また、市全域が平野であることから東京のベッドタウンとしての機能・役割が交通インフラの発展に比例して向上し、人口増加が続いています。
 都心に隣接という明確な好条件を背景に、2011年6月『戸田市シティセールス戦略(2011〜2015年)』を策定し、これまで同市の課題であった「認知度が低く、都市イメージが希薄なまち」を払拭すべく、同市の魅力やポテンシャルを様々なメディアや機会を通じて積極的に情報発信。その結果、2016年3月までの5年間で1万人以上の人口増加を上げています。
 さらに前戦略の評価や検証を踏まえ、2016年4月には、『戸田市シティセールス戦略改訂版(2016〜2020年)』を策定。前戦略5年間の取り組みの中で浮き彫りとなった「人口移動の激しいまち」といった課題を克服すべく、❶「市民の誇り、愛着心の向上」❷「認知度と都市イメージの向上」の2つを重点目標に盛り込み、具体の推進戦略に磨きをかける62のアクションプランを施策として鋭意取り組まれています。
 以下抜粋ではありますが、推進戦略の骨子を列記します。
●ターゲットの明確化(対象地域、対象者)●重点プロジェクト(インナープロモーションの更なる強化、ターゲットへの効果的な情報発信)●アクションプラン※1【お】オリンピックを開催したまち〜「ボートのまち」認知度向上〜、【い】育児が楽しいまち〜子育てママが輝くために〜、【で】デザインされたおしゃれなまち〜水と緑とまち並みの融合〜、【と】戸田市のファンが多いまち〜地域プロモーターの活躍〜、【だ】段差のないコンパクトなまち〜自転車利用の可能性〜、など。

※1定住人口獲得に向けたキーワード「お・い・で・と・だ」を語呂合わせしている。
 

 なお同市では、市当局の政策形成力を高め、政策を的確に実践していくための自治体シンクタンク「戸田市政策研究所」を2008年4月に設置しています。特徴として庁内職員4名程のキーパーソンを市長直轄の組織体制の中核に据え、外部からの学識経験者の助言や大学との共同研究により、人口減少社会を勝ち抜くためのシティセールス戦略づくりが行われてきています。また、市民・事業者・団体関係者・市職員等で構成された「シティセールス戦略市民会議」を2015年度設置し、戸田市シティセールス戦略の改定に与させています。

2 今後の課題
 戸田市は、都心で働く人にとって住みやすい都市環境、つまり都心に隣接、利便性の高い交通インフラ、比較的安い不動産、恵まれた子育て環境などがあることで、単身ないし二人世帯には、魅力あるまちとして今後もポテンシャルが高いと思われます。しかしながら戦略でも重点課題とされていますが、「人口移動の激しいまち」の結果、生涯にわたり定住する人の比率が低く、それは地域コミュニティの希薄化をもたらす要因となっています。さらに犯罪発生率の高さや急速な開発での諸課題が露呈しつつあることも大きな課題であると思います。総人口:135,000人、平均年齢:40.1歳、高齢化率:15.6%、年間人口流動:転入10,000人・転出9,000人。これらの数値からは推測し難いのですが、ファミリー世帯、シニア・シルバー世帯の比率が極端に下がっている原因の究明とともに、特に住環境整備に焦点を当てた戦略の方向性を決める必要があるように考えます。つまり、同市の未来ビジョンを現状シェアする世帯属性(単身ないし二人世帯)にポイントをおく戦略にされるのか、あるいは世帯属性が片寄らない世代バランスが調和する都市イメージを求められていくのか、の判断ではないでしょうか。その方向に従ったプロモーションの徹底、住民の地域愛着心醸成の仕組みづくり、それらを連携させる体制づくりに注視したいと思います。


3 本市に反映できると思われる点
 「ほどよく都会、ほどよく田舎」。若者世代、子育て世代の定住獲得に向けた本市シティセールス戦略のキャッチフレーズでありますが、市民性・県民性でしょうか、貪欲に近隣市町からの移住を仕掛ける施策に欠けている点を今回の戸田市行政視察を通じて痛感しました。(戸田市ではターゲット対象の隣接地域を明文化しています)
 本市では本年4月以降、これまで増加していた人口が頭打ちとなり、今後は減少傾向に変化していく中、住民を奪い合う「自治体間競争の時代」がいよいよ本格化していくと私は捉えています。本市の「地の利」と「地域資源」「人材資源」から、どのようなポテンシャルが新たに浮かび上がってくるのでしょうか。
 本市では、『藤枝型地方創生総合戦略』策定もそうですが、ほとんどの計画や戦略の策定を外部コンサルタント会社に委託しているようですが、本市の未来ビジョンは自らのアイデアとパワーで作ることが望ましいと考えています。今後は戸田市のように低コストのシンクタンク・藤枝型シティセールス戦略研究所(仮称)を庁内に設置し、併せて市民参加の研究組織・シティセールス戦略市民会議(仮称)を設けるなどして、本市独自のオリジナリティとブランド力の形成を推進していくべきではないでしょうか。
「お茶のまち藤枝」「サッカーのまち藤枝」。さてこれから、どのようなブランディングが形成されイメージチェンジされていくのか楽しみであります。
(文責:平井)


 

■視察先:岩手県遠野市/埼玉県戸田市(2016.8.9〜10) 報告者:小林和彦

視察先⑴:岩手県遠野市
視察テーマ ・危機管理施策について
      ・遠野市防災基本条例の制定について


1 市の概要
 遠野市は人口2万8千人強の、岩手県内では内陸部と沿岸部の中間点に位置する都市で、道路網が整備され物流や情報の拠点よして発展してきた。
面積825・97km   人口28071人
世帯数 10828世帯  議員定数 18名

2 取り組みの経緯・内容
 遠野市は明治29年6月の明治三陸地震においては、いち早く沿岸部へ物資(見舞金)や人的支援を行い、復旧支援に携わった尊い歴史があった。平成19年9月「岩手県総合防災訓練」が実施され、訓練を通じ後方支援の有効性が実証され、翌20年には「陸上自衛隊東北方面隊震災対策訓練「みちのくALERT」の後方支援の拠点として実践的な訓練の有効性が国や県からも評価されていった。
 東日本大震災では地震発生直後から災害対策本部を設け、災害対策拠点となる遠野運動公園を開放し、自衛隊、警察、消防などの救援部隊の受入れを開始し、全国から集結する救援部隊の受入れを行なった。

3 今後の課題
 ・「遠野市防災基本条例」を市民に徹底し、震災の経験を教訓として、一層災害に強い街つくりに取り組んでいくことが今後の課題である。
 ・逸早く初動体制を敷き、後方支援活動や復旧活動を行なえるよう「災害対策基本法」をはじめ「災害救助法」といった災害関連法の見直し改正にどう反映させていくかが課題といえる。

4 本市に反映できると思われる点 
・本市も県外の複数の都市と友好都市連携を結んでおり、熊本地震の際にも菊地市から物資などの要請があったが、当市も地域の異なる都市と連携しており「水平連携」が出来る体制の確立することが反映していきたい点である。
・本市も沿岸部の都市では津波被害が想定されており、沿岸部を抱える都市への支援体制の構築は反映出来る点である。


視察先⑵:埼玉県戸田市
視察テーマ:戸田シティセ−ルス戦略の取り組みについて

  
1 市の概要  
 戸田市は人口13万6千人で埼京線で新宿から約20分という東京のベットタウンとして発展してきた
 面積 18・19m    人口 136083人
 世帯数 57426世帯   議員定数  26名

2 取り組みの経緯・内容
 都市間競争をいかに勝ち抜いていくかを検討する中で、アンケ−トの結果、認知度が低く、都市イメ−ジの希薄なまちという結果でた。これに危機感を持ち、戸田市独自のシティセ−ルス戦略に取り組むこととなる。
 自治体内に庁内シンクタンクとして市長直結の戸田市政策研究所を設置し、目白大学との共同研究する中で、戸田市戦略市民会議による提言を経て、戸田市シティセ−ルス戦略を策定した。 

3 今後の課題
 
人口移動の激しいまち、定住する人の比率が低く、地域コミュニティの希薄化や急速な開発で、住民の地域愛着心を定着させていくかが課題である。
 今後、タ−ゲットを絞り効果的な情報発信をし、取り組みを強化していくことが課題である。   

4  本市に反映できると思われる点
 本市では、ほとんどの計画や戦略の策定を外部コンサルタント会社に委託しているが、今後は戸田市のように低コストのシンクタンク、藤枝型シティセ−ルス戦略研究所を庁内に設置し、市民参加の研究組織シテイセ−ルスの市民会議を設けるなど、本市独自のオリジナルブランド力の形成を推進していくべきである。
(文責:小林和彦)